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大阪高等裁判所 昭和54年(う)636号 判決

被告人 播州建設株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人松井幹男作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、検察官永瀬栄一作成の答弁書記載のとおりであるから、これらをいずれも引用する。

一、控訴趣意第一点の一及び第二点の一(原判示第一事実に関する法令適用の誤り及び理由不備の主張)について

論旨は、船舶安全法一八条一項五号違反の行為が罰せられるためには、当該船舶が同法三条各号所定の満載吃水線の標示を要する船舶でなければならないから、原判示第一の第二一住吉丸及び第二四住吉丸の両船が同法三条各号のいずれかに該当する旨の事実を摘示することなく同判示第一事実に同法一八条一項五号を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあり、また原判決が右法令の適用に何らの理由をも付さなかつたのは理由不備であつて、破棄を免れない、というのである。

よつて所論にかんがみ調査するに、なるほど所論のように、船舶安全法一八条一項五号違反の行為が罰せられるためには、当該船舶が同法三条各号所定の満載吃水線の標示を要する船舶でなければならないと解されるけれども、同法一八条一項五号違反の行為を判決の罪となるべき事実として摘示するには、満載吃水線を超えて載荷した行為を他の行為と区別しうる程度にその日時、場所、船舶を明示して摘示すれば足りるから、当該船舶が満載吃水線の標示を義務づけられている所以であるところの同法三条各号のいずれかに該当する旨の事実は、これを殊更に明示しなければならないものではない。けだし特定の船舶にその満載吃水線を超えて載荷した旨摘示すれば、当該船舶が満載吃水線の標示を義務づけられている船舶である旨の事実は、判文自体からおのずから了知されうるからである。したがつて、原判決は判示第一において第二一住吉丸及び第二四住吉丸がそれぞれ同法三条各号により満載吃水線の標示を義務づけられている船舶である旨の事実を明示していないけれども、同法一八条一項五号違反行為の摘示としてなんら欠けるところはない。判示第一の行為に対し右規定を適用した原判決は正当であつて、理由不備もない。論旨は理由がない。

二、控訴趣意第一点の二及び第二点の二(原判示第一の別紙船舶安全法違反犯罪一覧表番号2及び3の各事実に関する法令適用の誤り及び理由不備の主張)について

論旨は、原判決は右一覧表番号2及び3の各違反行為の実行行為者を船長山口満と認定し船舶安全法一八条二項を適用しているが、船長は小島佐久馬であり、右山口は、一等航海士として乗り組んでいた者で、小島船長に代つて事実上船長の職務をとつてはいたけれども、あくまで船長の職務代行者であつて、同法一八条三項にいう船長以外の船舶乗組員に外ならないから、右山口の違反行為に対し同法一八条二項を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあり、また原判決が右法令の適用にあたり何らの理由をも付さなかつたのは理由不備であり、破棄を免れない、というのである。

よつて所論にかんがみ調査するに、船舶の堪航性及び人命の安全を保持するという船舶安全法の目的、船長が同法一八条一項各号の違反行為をしたとき当該船長のほか船舶所有者に対しても刑を科することを規定した同条二項の趣旨、並びに船長に代つてその職務を行う者につき船長に関する規定を適用する旨特に規定した同法二六条の趣旨などを勘案すると、同法一八条二項にいう船長とは、船舶に乗船してその船舶に関する職務に従事する者のうち、当該船舶の長としてこれを指揮する者であつて、かつ船舶所有者によつて選任された者をいうと解すべきである。したがつて、たとえ当該船舶に船長として雇入契約がなされ、その公認を受けている者であつても、有給休暇や傷病などのため現に継続的に下船中であつて当該船舶に関する職務に従事する態勢にない者は、同法一八条二項にいう船長には該らない。他方、前同法の目的並びに乗組員が同法一八条一項各号の違反行為をしたとき当該乗組員のほか船長に対しても刑を科することを規定した同条三項の趣旨などに照らすと、同条項にいう船長以外の乗組員とは、当該船舶に乗船し船長の指揮命令下にあつてその船舶航行に関する職務に従事する者をいうと解すべきである。なお、船員法二〇条によりその職掌の順位にしたがつて船長の職務を行ういわゆる代行船長は、船長の指揮命令下にあつてその船舶航行に関する職務に従事する者でないから、同法一八条三項にいう船長以外の乗組員には該らないし、また船舶所有者が直接船長に選任した者でないから、同条二項にいう船長にも該らないが、同法二六条にいう「船長ニ代リテ其ノ職務ヲ行フ者」に該ると解され、したがつて同条により同法中の船長に関する規定が適用されるから、右代行船長において同法一八条一項各号違反の行為があつた場合には、同条三項でなくて同条二項によつて同人が罰せられるほか船舶所有者も罰せられることになる。

そこで、所論山口満の地位について検討するに、関係証拠によると、昭和四八年六月ごろ以降第二一住吉丸の船長として雇入契約がなされ、その公認を受け、現実にも同船に船長として乗り組んでいた者は小島佐久馬であつたが、同人は昭和五一年一一月ないし一二月ごろ怪我をしその治療のために代船長を選任することなく下船したこと、そして、その後は、以前から同船に一等航海士として雇入契約をし、その公認を受けて乗り組んでいた山口満が、他の乗組員より職掌の順位が上であるのみならず、乙種二等航海士免状を受有していて同船の船長となる資格を有していたので、事実上同船の船長としての職務に従事し、被告会社においても右事実を熟知していたが、前記小島佐久馬が怪我の回復次第同船の船長として復帰することが予定されていたため、同人との雇入契約を解除せず、他方山口満を同船の船長として雇入契約をし、その公認を受けることもしなかつたことが認められる。右事実に照らすと、山口満は前叙の代行船長、即ち前同法二六条にいう「船長ニ代リテ其ノ職務ヲ行フ者」に該るというべきであつて、所論のように同法一八条三項にいう船長以外の船舶乗組員であるとはいえない。

そうしてみると、前記第二一住吉丸の代行船長である山口満が同船にその満載吃水線を超えて載荷した旨の前記一覧表番号2及び3の各違反行為に対しては、船舶安全法二六条により同法一八条二項、一項五号を適用すべきであるから、右山口満を船長と判断して同法二六条を適用することなく、漫然同法一八条二項、一項五号を適用した原判決は、法令の適用を誤つたものであるといわざるをえないが、これは判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえず、また、理由不備になるものでもない。論旨は理由がない。

三、控訴趣意第二点の三(原判示第二及び第三の一の各事実に関する法令適用の誤りの主張)について

論旨は、(一)船舶職員法一八条一項にいう海技従事者を乗り組ませるとは、配置すること、即ち、通常の場合、雇入契約をし、その公認を受けて船舶職員として配置につけることをいうものであつて、物理的な乗船をいうものではないから、右規定に違反する行為は、右職員の配置をなさないか、又はこれを配置したときであつても特に舶船所有者等の意思によりこれを乗船せしめなかつた場合をいうのであつて、単に配置された職員が故意又は過失により乗船しなかつた場合は含まれない(旧船舶職員法八条一項の解釈に関する大審院大正一二年一二月二一日判決、刑事判例集第二巻一〇〇一頁参照)、また船舶所有者等が船舶に有資格の海技従事者を乗り組ませたか否かは、航海の初めの時点で判断されるべきである、(二)これを本件についてみるに、(1)原判示第二の第二四住吉丸には、航海の初めは一等航海士として有資格の柴田国松を配置してあつたところ、同船が航海の途中兵庫県家島港に寄港した際、右柴田国松が仮上陸したまま乗船せず、その結果同船に一等航海士が不在となつたのであるが、右のように同船に一等航海士の不在を生じたことは、船長柴田博文の意思によるものではなく、右柴田国松の故意又は過失によるものであり、(2)また、原判示第三の一の第二一住吉丸には航海の初め一等機関士として有資格の澤部久一を配置してあつたところ、同船の航海中右澤部の家族に不幸が起きたことがわかつたため、船長の小島佐久馬が深夜同船を家島港に寄港させ、自らの意思により右澤部を一時下船させたのであるが、このような場合には、同法一九条一項本文の準用があり、仮に然らずとするも右小島の責任が阻却されるものと解されるから、原判示第二及び第三の一の各事実につき、前記柴田博文及び小島佐久馬が同法一八条一項本文に違反して前記各船舶に有資格の海技従事者を乗り組ませなかつた事実はなかつたものである、(三)更に、被告会社は、当該船舶の船員関係について、各船長に対し、ある程度の事務処理の権限を委ねているが、法令に違反する行為を許容したことがなく、船長に対する指導監督を十分尽していたから、同法三三条但書に該当する、したがつて、原判示第二及び第三の一の各事実に船舶職員法一八条一項、三三条を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあつて、破棄を免れない、というのである。

よつて所論にかんがみ調査するに、まず、所論(一)についてみるに、船舶職員法は、船舶職員として船舶に乗り組ませるべき者の資格を定め、もつて船舶の航行の安全を図ることを目的とする(同法一条)のであつて、このことに照らすと、海技従事者が船舶に乗り組むという意味は、右海技従事者が職務の種別にしたがい船舶の航行組織の一員として現に執務できる態勢にあることをいうものと解される。そしてそのためには、航海の途中の寄港地で職務に支障のない海技従事者が遅くとも出港までの所定の時間に帰船し必要に応じて執務にあたることを当然に予定して停泊中の船舶から一時的に下船して仮上陸したときのように、たとえ物理的に乗船していなくても、なお前叙の趣旨で乗り組んでいるものと考えて差支えない特段の事情のある場合を除けば、当該海技従事者が物理的にも乗船していることを要するものと解される。したがつて、海技従事者と雇入契約をし、その公認を受けたというだけで未だ前叙執務態勢についていない者は、当該船舶に乗り組んだ者にあたらないのである。

次に、前叙の乗り組むということの意味に照らして考えると、船舶職員法一八条一項本文にいう海技従事者を乗り組ますとは、右海技従事者をその職務の種別にしたがい船舶の航行組織の一員として現に執務できる態勢にあてることをいうものと解され、所論引用の大審院判決が「配置する」という用語でもつて判示する趣旨は右と同旨であると考えられる。ところで、同法一八条一項本文及び三三条本文により法定の海技従事者を乗り組ませるべき義務ある者が船舶に法定の海技従事者を乗り組ませれば、後者がこれを受けて当該船舶に乗り組むのは通常当然の結果であるから、前叙義務者の不知の間に、その者が何らかの事情により航海の当初ないしその途中から当該船舶に乗り組まず、そのため法定の海技従事者の乗り組みを欠いて航行する事態が生じたとしても、それだからといつて前叙義務者が右一八条一項本文に違反したことになるものではない。しかしながら、前叙義務者が船舶に法定の海技従事者を一旦乗り組ませれば常に右一八条一項本文の義務を尽したことになるものではなく、前同法の目的及び同法一九条一項本文の反対解釈などを勘案すると、右義務は法定の除外事由のないかぎり発航港を出港するときから目的港に入港しその航海を終了するときまでの全航海中に及び、所論引用の大審院判決が判示するように特に前叙義務者の指示によりこれを乗船させないこととしたため法定の海技従事者を欠くに至つた場合はもとより、海技従事者が何らかの事情により前叙義務者の不知の間に航海の当初から当該船舶に乗り組まずあるいはその途中下船して乗り組まなくなつたため、法定の海技従事者の乗り組みを欠くに至つた場合には、法定の除外事由がないかぎり、これを知つた時点において、新たに法定の海技従事者を乗り組ませなければならないと解すべきであるから、これを怠るときは同法一八条一項本文の義務を尽したことにはならない。したがつて、前叙義務者がその義務を果したか否かは航海の初めの時点で判断されるべきであるとの所論は採用できない。

次に、所論(二)の(1)についてみるに、関係証拠によると、原判示第二の柴田博文は、昭和五二年二月三日当時第二四住吉丸の船長として被告会社と雇入契約をし、その公認を受け、現に同船に船長として乗り組んでいた同会社の従業者であり、同船の職員を雇入れ乗り組ませる権限を有していたこと、同船には右二月三日の前日の同月二日まで、一等航海士として、右柴田博文の父柴田国松(乙種二等航海士免状受有)を、雇入契約のうえ、その公認を受けて乗り組ませていたこと、しかるに、右柴田国松は、同日夜兵庫県飾磨郡家島町の家島港に空船で入港した後、柴田博文とともに下船して同町内の自宅に帰り、翌三日朝自宅において柴田博文に対し、組合の用事があるので今日は乗船しない旨申し出たことが認められる。ところで、柴田国松の右申出は、同日の航海に対する乗り組みの拒否に外ならず、同人が乗船しなければ同船に一等航海士として有資格の海技従事者を欠くに至るうえ、同船に右海技従事者を乗り組ませなくてもよい法定の除外事由はなかつたのであるから、このような場合、柴田博文は、被告会社の従業者(船長)として同船に職員を雇入れ乗り組ませる権限を有していたのであるから、同船の航行を断念するのでない限り、前説示のとおり前同法一八条一項本文により新たに一等航海士として有資格の海技従事者を乗り組ませなければならなかつたものである。しかるに、関係証拠によると、柴田博文は柴田国松に代る有資格の海技従事者(丙種航海士又はこれより上級の資格の者)を一等航海士として雇入れ乗り組ませる方策を講じることなく、一航海ぐらいなら構わないだろうという安易な考えから、右海技従事者を欠いたまま、同日朝家島港で海砂を積んで出港し、尼崎港に至つて右海砂を荷揚げしたのち、空船で家島港に帰港すべく同日午後七時一五分ごろ原判示明石外港岸避先海上まで航行したことが認められる。これによると、原判示第二のとおり、柴田博文の右措置は同法一八条一項本文に違反したことが明らかである。右所論はとうてい採用できない。

また、所論(二)の(2)についてみるに、関係証拠によると、原判示第三の一の小島佐久馬は、昭和五二年九月一八日当時第二一住吉丸の一等航海士として被告会社と雇入契約のうえ、その公認を受け、現に一等航海士として乗り組んでいた同会社の従業者であるが、同人が以前同船の船長をしていた関係上、船長から一等航海士に職務変更がなされた後も、引き続いて被告会社から同船に職員を雇入れ乗り組ませる権限を委ねられていたこと、当時同船には一等機関士として澤部久一(丙種機関長免状受有)を雇入契約のうえ、その公認を受けて乗り組ませていたこと、しかるに前記九月一八日の前日の同月一七日昼ごろ、広島県の忠海で海砂採取中の同船に対し右澤部の身内に不幸があつた旨船舶電話による連絡があつたことが認められる。したがつて、このような場合、小島佐久馬としては、澤部に対し航海の途中で下船するか否かにつき、その意思を確認したうえ、同人が途中家島で下船したいというのであれば、同人の下船により同船に一等機関士として有資格の海技従事者を欠くことが明らかであるから、同人の下船中は同船を家島港に停泊させ同人の帰船を待つて航海を再開するというのでないかぎり、速やかに被告会社に対し澤部が家島港で下船すること及びその予定日時を連絡して同人の代りの有資格の海技従事者の手配方を依頼し、もつて有資格の海技従事者の乗り組みに欠けることのないよう配慮すべきであつたと考えられる。しかるに、関係証拠によると、小島佐久馬は右方策を講じることなく、前記忠海から神戸に向けて航行する途中の翌一八日午前三時三〇分ごろ家島港に寄港して澤部を下船せしめたのち、積荷の海砂の荷揚を急ぐあまり、また荷揚後家島港まで戻れば澤部が再度乗り組んでくるのであるからこの間海上保安庁の係官に見つかりさえしなければよいと考え、同船に一等機関士として有資格の海技従事者を乗り組ませなくてもよい法定の除外事由もないのに、澤部の代りの海技従事者を乗り組ませることなく、同日午前四時ごろ家島港を出港し同日午前一〇時二〇分ごろ神戸港須磨沖防波堤燈台から西方約八〇〇メートル先海上まで航行したことが認められる。これによると、原判示第三の一のとおり、小島佐久馬の右措置は船舶職員法一八条一項本文に違反したことが明らかである。なお、所論は、澤部の下船については同法一九条一項本文の準用があり、然らずとするも小島佐久馬の責任が阻却されるから、同人につき同法一八条一項本文の違反はないという。しかし、右一九条一項本文にいうその他やむを得ない事由とは、船舶職員として乗り組んだ海技従事者の死亡がその例示としてあげられていることを勘案すると、死亡に準ずる行方不明、職務に耐えられない負傷や重病など、その他船舶職員として船舶に乗り組ますべき者の資格を定めもつて船舶の航行の安全を図るという同法の目的に照らしてみても、なお右有資格の海技従事者の乗り組みの欠如もやむをえないと認めるに足る客観的事由が、船舶職員として既に乗り組んでいた海技従事者本人に直接生じた場合をいうものと解される。しかるに、前認定のように、澤部久一本人に右趣旨の客観的事由が生じたのではなく、その親族に不幸があつたにすぎないから、このような場合、同法一九条一項本文の適用又は準用のないことは明らかであり、また前認定のような船舶航行経緯からして、小島佐久馬が同法一八条一項本文に違反し法定の海技従事者を乗り組ませなかつたことにつき、期待可能性の欠如、その他責任阻却事由のないこともまた明らかである。右所論はとうてい採用できない。

更に、所論(三)についてみるに、なるほど被告会社代表者奥村清一は司法警察員海上保安官に対する昭和五二年一二月二五日付供述調書(二通)において、また原審及び当審各公判廷において所論に沿う供述をするけれども、他方、既に認定したように、柴田博文及び小島佐久馬がそれぞれ法定の海技従事者を乗り組ませなかつた動機は頗る安易な考えによるものであるうえ、関係証拠によると、右両名及び被告会社には本件行為の前後を通じて船舶関係法規違反の罰金前科が極めて多く、船舶の航行の安全に対する配慮が稀薄であつたことが優に窺知できるから、所論に沿う前記各供述はにわかに信用しがたく、結局被告会社がその従業者である前記柴田博文及び小島佐久馬の本件違反行為を防止するため同人らの業務に対し相当の注意及び監督が尽されたことの証明があつたとはとうてい認められない。したがつて、船舶職員法三三条但書への該当を主張する所論は採用できない。

そうしてみると、原判決が原判示第二及び第三の一の各事実に同法三三条、三〇条の三第一号、一八条一項を適用したのは正当であり、法令適用の誤りはない。論旨は理由がない。

四、控訴趣意書第一点の三(原判示第二及び第三の一の各事実に関する理由不備の主張)について

論旨は、弁護人提出の海員名簿によると、第二四住吉丸には一等航海士として有資格の柴田国松を、第二一住吉丸には一等機関士として有資格の澤部久一をそれぞれ乗り組ませていたことが認められるのに、原判決がなんらの理由も付さずにこれを排斥し船舶職員法一八条一項違反の事実を認定したのは、理由不備であり、破棄を免れない、というのである。

よつて所論にかんがみ調査するに、同法一八条一項本文に海技従事者を乗り組ませるということの意味は前記三で説示したとおりであるから、所論海員名簿によると、第二四住吉丸の一等航海士として有資格の柴田国松が、また第二一住吉丸の一等機関士として有資格の沢部久一が、それぞれ雇入契約のうえその公認を受けていたことが認められるけれども、このことから直ちに原判示第二及び第三の一の各日時場所において所論両船に右両名をそれぞれ乗り組ませていたことまで認定できるものではないうえ、かえつて前記三で認定したように、原判示第二及び第三の一の各日時場所において右両船に右両名をいずれも乗り組ませていなかつたのであるから、所論は失当であつてとうてい採用できない。論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法三九六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 吉川寛吾 西田元彦 重吉孝一郎)

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